ドラマ『僕の姉ちゃん』から学ぶ
ひとつ前のブログで、クロスステッチという新しい趣味が出来たことを書いた。クロスステッチはひたすらチクチクと布に糸を通していく作業なので、正直なところ作業のお供がほしくなる。なにかないかなあ、と考えて、長いこと気になっていたドラマを観てみよう!と思い立った。
それが、Amazon prime videoで視聴できる、『僕の姉ちゃん』。
これが本当に面白くて、思わず一気見。
物語に大きな展開があるわけではないし、設定もごく普通。けれどむしろそれが良い。
ゆるっとした雰囲気の中で進んでいく姉ちはると弟順平の日常。
仕事をして、家に帰り、お酒を飲みながら家族と話す。
ただそれだけなのに、そこに人生のエッセンスが詰まっているような気がして、ちはるの言葉ひとつひとつを大切にかみしめたくなった。
最終回手前で、「まだ終わってほしくない…!」と観るのを一度中断してしまったほど。
姉ちゃんの言葉は、わかりやすく「いいこと言う~!!」と思わせるものでは決してない。でも、生活の中でふと思い出して大切に抱きしめたくなるような、何度も繰り返し思い出して自分の人生の一部にしたくなるような、そんな言葉たちだった。
ここで、数ある姉ちゃんのお言葉からお気に入りをすこし。
(ネタバレ0でまずは本編を観たい!という方は読み飛ばしてくださいね)
第4話より。
「1日10時間の結婚でいいな。1日10時間は結婚してる私、残りの14時間は今の私なの」
わかる…!!めちゃくちゃわかる。
中学生くらいまでは、当たり前に大学に進んで、当たり前に就職して、好きな人と恋人同士になって、その人と結婚して、子どもを産んで…と、漠然と考えていた。
でも、当たり前なんかあるわけない。人生にこんなに選択肢があるなんてあの頃の私は知らなかったけれど、今目の前にはあまりにもたくさんの選択肢があって、都度なにを選ぶかによって人生は少しずつ変化していく。そして、”自分が選ばなかったほう”の人生を経験することは、絶対にできない。
結婚するのか、しないのか。ひとりでいたって正直、楽しく生きていける気もするし。でも母になるという夢もある。でも、母になったとして、自分のために使える時間ってほとんどなくなってしまうんじゃないだろうか。それはいやかも。でも、…
ってな感じで、考えているだけで目が回るような気分になってくる。
だから時々、「あー、インスタグラムのアカウントを切り替えるみたいに、いろんな人生を切り替えて比較検討出来たらなあ」なんて思ったりする。だからこそ、私も1日10時間の結婚、正直超したい。
妻という責任を背負う代わりに、大切な人と共に生きる幸せ。
ひとりだからこそ、何からも縛られない自由な生き方をできる幸せ。
どうにかして、同時にどっちも手に入らないもんかなあ。なんて、わがまま。
第8話より。
姉ちゃんは彼氏に尽くさなそう、という順平に対して。
「そうだねえ。うん、尽くさない。
私が生まれてきたときにさ、若かったお父さんとお母さんがさ、彼氏に尽くす女になりますように!なーんて願ったと思うか?
私も、そんであんたも。誰に尽くさなくても、世界に求められて生まれてきたのであーる。」
誰に尽くさなくても、世界に求められて生まれてきた。
自分の存在意義のようなものを見つけようとする人が多いし、その気持ちはすごくわかる。ここにいていいのかな、ってなんだか少し焦るときがある。
でも、私たちがこの世に存在しているのに、たいそうな意味なんていらないんだよなあ。だって求められて生まれてきたんだから。そう思えたら、なんだか生きるのが少し楽になる気がする。
最終話より。
「心の内のモヤモヤを、捨てた!って確実に確認できると、安心できるんだよね。
捨てたことを確認できないから、人は苦悩するわけよ。
形なきものを手に取って捨てられたら、ノーベル賞間違いないね。」
物は捨てたら自分の手元に残らないのに、嫌な思い出、ネガティブな感情、考えたくないモヤモヤした気持ちってふとした瞬間に戻ってきたり、考えないようにしようとすればするほどその存在感を増したりする。
それを捨てた!って確認出来たら、ものすごーく楽なんだろうなあ。私もちはるみたいに、ごみ箱に向かってモヤモヤを投げ入れてみようかな。
これを書いていたら、さっそくまた観たくなってきたので早くも2周目に入ろうかと思います。益田ミリさんの原作小説『僕の姉ちゃん』シリーズも近いうちに読んでみようかと。
さて、姉ちゃんに会いに行ってきます。