書けないくせに、書きたい衝動

時々、無性に小説を書きたくなる時があります。いや、書けないんですけどね。

なにかふとした瞬間に、「うわあ、書きたい!今すぐ書きたい!」って思って、その”書きたい”には、何でも良いから文章を書きたいというだけではなくて、”創作したい”とか”物語を作り出したい”とかいった気持ちも含まれていて。だからといって何かストーリーが思いつくわけでもアイディアが降りてくるわけでもなく、結局PCを開いてみても何も書けない。

そういうわけでこのやりきれない気持ちをここで発散しています。

 

ずっと、ずーっと不思議に思っているんです、この感情。なんで書けないくせに、一丁前に書きたい衝動だけはあるのか。他の人にはこんな衝動があるんでしょうか。書きたいけど、書けない、それこそが私が凡人である証拠なんだろうな、なんて考えて哀しくなったり。そして、やっぱり物語を作り出している作家さん、脚本家の方をはじめとするクリエイティブな方々は本当にすごいと思います。

 

…なんだかなあ。

一番最初に投稿したブログでも、「小説家になりたいと思ったことはあった、けど無理だったからブログを書きます」なんてことを書いた気がするけれど、私はやっぱり、私の身に起きたことしか書けないのだろうなあ。

でもそれが案外楽しかったりもするんですけどね。

 

 

最近は小川糸さんの『糸通信』が文庫化されたエッセイのシリーズをずっと読んでいます。図書館に行く度、その時本棚に残っているものを借りるから、時系列はかなりばらばらに読んでしまっているのですが、それでもすごく面白くて。

糸さんの描かれる文章はとても柔らかくて、あたたかくて、読んでいてとても穏やかな気持ちになれるから素敵だなあ、と。たとえ騒がしい電車の中で読んでいても、静かな自室で読んでいても、同じように優しく幸せな気持ちになれる。そんな文章を書ける糸さんは魔法使いみたいだな、なんて思います。

買ってしまえば楽に済むものでも、あえて手作りしてみること。季節を感じながら生きること。あたたかく、人と交わっていくこと。日本以外にも、自分の家以外にも、「居場所」と思える場所があること。どれも素敵なことばかりで、こんな風に暮らしていけたら、とつい夢想してしまいます。

イベントなどあったら、行ってみたいなあ。そしてお話してみたい。そんな風に思いつつ、まずは今までのものをすべて読み切るぞ、と意気込んでいるところです。

 

 

最近は、青梅をいただいたので、梅シロップを漬けました。約二週間、欠かさずお世話をして、瓶二つ分のシロップがたっぷり出来たので、お酒で割ったり、サイダーにしたりしながら少しずつ楽しんでいます。つけ終わった梅は刻んで梅味噌にしたり、梅の佃煮を作ったり。梅仕事をしていると、自然と心穏やかになれて、毎日のささやかな楽しみになって。糸さんのような丁寧な暮らしに少し近づけたような気がして嬉しかった、そんな最近でした。

 

ブログになるとこんなにすらすらかけてしまうのはなぜなんだろう。取り留めもないことばかりだけれど、言葉を綴るのはやっぱり楽しい。これからもこの場所にお世話になります。ではまた。