旅行記、名古屋【前編】
みんな一度は、死ぬまでに叶えたい100のこと、考えたことってありません?私はまだ一つしか思いついていないんですけども、それというのが「47都道府県すべて旅行する」です。
益田ミリさんの「47都道府県 女ひとりで行ってみよう」に多大なる影響を受けて、私も47都道府県制覇してやるぞ!という決意をしました。ただしひとり旅に限定するつもりはなくて、友人と行くもよし、家族と行くも良し、という自分ルールです。
そして今回は記念すべき第一県目となる、愛知県(名古屋周辺)での旅の記録を。
今回は友人とふたりで名古屋に行ってきました。旅の大きな目的としては、推しのコンサートに参加することだったのですが、今春に企画していた名古屋旅行が頓挫してしまっていたこともあり、旅行もかねて早めに名古屋に行くことに。一泊二日+夜行バスの旅。
一日目、昼過ぎに名古屋駅に到着し、まず向かったのは白山宮という神社。電車とバスを乗り継いで1時間半ほどで到着。都市部から少し離れたところにあるので、道中バスの車窓から見えた、緑あふれるのどかな風景がとても美しく…移動しながら癒されてしまいました。空の青と田んぼの緑、きらきらと陽の光を反射する川の水面。一枚の絵画のような風景にわくわく。
到着して初めて知ったのですが、白山宮は毎年7月28日と29日に「茅の輪祭り」という、無病息災をお祈りするお祭りを行っているそう。ちょうどそのお祭りの期間に訪れることが出来たため、提灯と風鈴がたくさん飾られた、素敵な雰囲気を味わうことが出来ました。
御朱印もお祭りの二日間だけの特別仕様のものをいただけて、ラッキー。茅の輪祭りについて、御朱印を渡してくださった方が丁寧に説明してくれました。
茅の輪を八の字に3回くぐることで、健康をお祈りする行事がこのお祭り。曜日は関係なく7月28日と29日の二日間で毎年開催しているそうです。私たちが訪れた前日には花火大会もあったようで、またいつかこの時期に花火を見にいらしてくださいね、と声をかけてくださいました。やさしい…
白山宮には本殿の他にもみどころがたくさんあって、中でも私が楽しみにしていたのは足王社。スポーツの神様を祀ったものだそうですが、木で造られた独特の形の建物を一目見てみたいと足を運ぶ人も多いそう。木で造られているからか、足王社のまわりは心なしか涼しく感じて、木の香りも相まって本当に癒されました。
白山宮から戻った後、一旦ホテルに荷物を置いて再び出向いたのは、ずっと行きたかった念願の喫茶店、ボンボン喫茶部!安くておいしい、そして種類まで豊富なケーキが食べられることと、そのレトロな雰囲気が大人気なお店です。
春頃、名古屋出身の知人に、「今度名古屋旅行を計画しているんだけど、どこかおすすめの場所はある?」と聞いたらボンボンにぜひ行ってほしいと言われ、そこからずっとずっと行きたいと思っていたので、ワクワクしながら向かいました。
外観からとってもレトロ!思っていたよりも広い店内で、ゆったりした雰囲気で最高でした。
この店の特徴は何と言ってもケーキのお安さ。ひとつ300円~なので、夢のケーキ二個注文。夕方に訪れたので売り切れてしまっているケーキも多かったですが、注文したモンブランとチーズケーキ、どちらもおいしかったです。
長くなりそうなので、今回はここらへんで。二日目の思い出は後編に書きます。ではまた!
書けないくせに、書きたい衝動
時々、無性に小説を書きたくなる時があります。いや、書けないんですけどね。
なにかふとした瞬間に、「うわあ、書きたい!今すぐ書きたい!」って思って、その”書きたい”には、何でも良いから文章を書きたいというだけではなくて、”創作したい”とか”物語を作り出したい”とかいった気持ちも含まれていて。だからといって何かストーリーが思いつくわけでもアイディアが降りてくるわけでもなく、結局PCを開いてみても何も書けない。
そういうわけでこのやりきれない気持ちをここで発散しています。
ずっと、ずーっと不思議に思っているんです、この感情。なんで書けないくせに、一丁前に書きたい衝動だけはあるのか。他の人にはこんな衝動があるんでしょうか。書きたいけど、書けない、それこそが私が凡人である証拠なんだろうな、なんて考えて哀しくなったり。そして、やっぱり物語を作り出している作家さん、脚本家の方をはじめとするクリエイティブな方々は本当にすごいと思います。
…なんだかなあ。
一番最初に投稿したブログでも、「小説家になりたいと思ったことはあった、けど無理だったからブログを書きます」なんてことを書いた気がするけれど、私はやっぱり、私の身に起きたことしか書けないのだろうなあ。
でもそれが案外楽しかったりもするんですけどね。
最近は小川糸さんの『糸通信』が文庫化されたエッセイのシリーズをずっと読んでいます。図書館に行く度、その時本棚に残っているものを借りるから、時系列はかなりばらばらに読んでしまっているのですが、それでもすごく面白くて。
糸さんの描かれる文章はとても柔らかくて、あたたかくて、読んでいてとても穏やかな気持ちになれるから素敵だなあ、と。たとえ騒がしい電車の中で読んでいても、静かな自室で読んでいても、同じように優しく幸せな気持ちになれる。そんな文章を書ける糸さんは魔法使いみたいだな、なんて思います。
買ってしまえば楽に済むものでも、あえて手作りしてみること。季節を感じながら生きること。あたたかく、人と交わっていくこと。日本以外にも、自分の家以外にも、「居場所」と思える場所があること。どれも素敵なことばかりで、こんな風に暮らしていけたら、とつい夢想してしまいます。
イベントなどあったら、行ってみたいなあ。そしてお話してみたい。そんな風に思いつつ、まずは今までのものをすべて読み切るぞ、と意気込んでいるところです。
最近は、青梅をいただいたので、梅シロップを漬けました。約二週間、欠かさずお世話をして、瓶二つ分のシロップがたっぷり出来たので、お酒で割ったり、サイダーにしたりしながら少しずつ楽しんでいます。つけ終わった梅は刻んで梅味噌にしたり、梅の佃煮を作ったり。梅仕事をしていると、自然と心穏やかになれて、毎日のささやかな楽しみになって。糸さんのような丁寧な暮らしに少し近づけたような気がして嬉しかった、そんな最近でした。
ブログになるとこんなにすらすらかけてしまうのはなぜなんだろう。取り留めもないことばかりだけれど、言葉を綴るのはやっぱり楽しい。これからもこの場所にお世話になります。ではまた。
美術館で休息する
6月に入ってから、二つの展覧会を訪れたのでその感想を少し。
ひとつめは新宿駅近くにあるSOMPO美術館で開催されている「シダネルとマルタン展」。シダネルとマルタンは日本ではあまり取り上げられたことのない画家らしく、私も今回展覧会のチラシでその名前を初めて聞いた。
SOMPO美術館に訪れるのも今回が初めて。平日の昼間だったからということもあるだろうけれど、とても静かで落ち着いた雰囲気の綺麗な美術館だったなあ。
シダネルとマルタンについては、予備知識も何もないまま会場で初めて彼らの作品と対面したのだけど…正直ここまで心が震えた展覧会は久しぶりだったように思う。
「最後の印象派」といわれた二人の最初期の作品は光に満ちていて、みていると、涼やかで気持ちよい風を感じるような心地がした。あたたかい陽の光、柔らかい微風、草を踏み分けて歩く感触。彼らが生きた時代の美しさが眼前に現れるかのようで、大きく深呼吸したくなる。ひとつの曇りもない、牧歌的な美しさに触れて、なんだか涙まで込み上げてきた。こんなことは初めて。ここ最近精神的に余裕のない生活をしていたからかな。ずっとずっとみていたい、なんならこの絵の中に飛び込んで、そこで暮らしたいと思ってしまうほど素敵でした。
晩年の作品もとても魅力的。彼らがそれぞれ愛した土地に家を持ち、そこで創作した作品の数々。とくに印象的だったのは、彼らによって描かれる花々の美しさ。鮮やかさの中に柔らかさも含んでいて、人物が描かれない作品でも、どこかひとのぬくもりを感じるやさしさを帯びている。
シダネルが愛した村、ジェルブロワはフランスの美しい村にも選ばれているそう。バラが咲き乱れる村なんて、きっと綺麗なんだろうなあ。いつか行ってみたいと思った。
ふたつめは、リニューアルオープンしたばかりの国立西洋美術館で開催されている「自然と人のダイアローグ」。国立西洋美術館を訪れたのはロンドンナショナルギャラリー展が行われていた2020年秋以来。作品数がかなりたっぷりで、本当に見ごたえのある展覧会だった。
ドイツロマン派の画家の作品が見られるのは珍しいことだそうで(知人の美術通談)、そこらへんも楽しみにして行ったのだけれど、どれも素敵だったなあ。絵画だけでなく写真も展示されていて、新鮮だったし「写真もいいなあ…」と思いながら鑑賞していました。
図書館の魅力を再発見する
ここ1年弱くらい、図書館に足を運んでいないことに気が付いた。
というのも、本屋さんで本を買う楽しみを知ってしまったから。大学の書店は学割が効いて安く買えるし、なによりじっくり吟味して選んだ一冊には格別の思い入れが生まれる。
とはいえ学生の身分、しかも多い時には10冊以上本を読む手前、全部の本を購入してもいられない。そんなこんなでお財布がそろそろピンチになりまして。(詳しくは『趣味の守備範囲を広げる』を読んでみてください、私のバイト代がどこへ消えていったのか詳しく書いてあります、トホホ…)
お給料が入った数日前、「今日から6月いっぱいまではもう本を買わない!読む本は図書館で借りよう!」と思い立ったわけです。
私が利用している図書館は家から歩いて5分ほどのところにあり、小学生の頃から幾度となく通ってきた場所。夏休みには一日中図書館にこもって座敷席に寝転がって本を読み漁ったなあ、中高生の頃は何時間もこの席に座ってテスト勉強をしていたなあ、気晴らしに単行本の棚を回って「テストが終わったらこれを借りよう」と気持ちを奮い立たせていたなあ、なんて、一歩足を踏み入れれば思い出がたくさんよみがえってきた。
たった一年行っていなかっただけなのに、懐かしい気持ちでいっぱいになるのが不思議。
そして、いざ借りる本を選ぼうと文庫の棚から順番に回り始めたら、びっくり。
図書館で本を選ぶのって、こんなに楽しかったっけ。
たとえるなら、本のバイキング。無料で、好きな本を(決められた冊数までなら)何冊でも借りて良いなんて!
それが図書館の仕組みでしょ、と言ったらそれでおしまいなのだけど、改めて「なんて素敵な施設なんだろう」としみじみしてしまった。
ちょっと気になる、くらいの本でも気軽に手に取れる。外国文学ってハードル高いんだよなあ、と思ってもとりあえず借りてみることが出来る。
無料であるってことは、新しいジャンルの本、読んだことのない作家の本に出会うハードルを極限まで低くしてくれるということ。そのおかげで広がる世界がきっとたくさんあるんだろうなあ、と。小学生の頃の私にも、中高生の頃の私にも、そして今の私にも。図書館がそこにあってくれたおかげで出会えた物語がたくさんあるし、これから先出会うであろう世界も、あの場所にまだまだ詰まっている。
図書館、なんてすばらしい場所。
たとえどれだけ大金持ちになったって、図書館には通い続けようと決めた日でした。
ドラマ『僕の姉ちゃん』から学ぶ
ひとつ前のブログで、クロスステッチという新しい趣味が出来たことを書いた。クロスステッチはひたすらチクチクと布に糸を通していく作業なので、正直なところ作業のお供がほしくなる。なにかないかなあ、と考えて、長いこと気になっていたドラマを観てみよう!と思い立った。
それが、Amazon prime videoで視聴できる、『僕の姉ちゃん』。
これが本当に面白くて、思わず一気見。
物語に大きな展開があるわけではないし、設定もごく普通。けれどむしろそれが良い。
ゆるっとした雰囲気の中で進んでいく姉ちはると弟順平の日常。
仕事をして、家に帰り、お酒を飲みながら家族と話す。
ただそれだけなのに、そこに人生のエッセンスが詰まっているような気がして、ちはるの言葉ひとつひとつを大切にかみしめたくなった。
最終回手前で、「まだ終わってほしくない…!」と観るのを一度中断してしまったほど。
姉ちゃんの言葉は、わかりやすく「いいこと言う~!!」と思わせるものでは決してない。でも、生活の中でふと思い出して大切に抱きしめたくなるような、何度も繰り返し思い出して自分の人生の一部にしたくなるような、そんな言葉たちだった。
ここで、数ある姉ちゃんのお言葉からお気に入りをすこし。
(ネタバレ0でまずは本編を観たい!という方は読み飛ばしてくださいね)
第4話より。
「1日10時間の結婚でいいな。1日10時間は結婚してる私、残りの14時間は今の私なの」
わかる…!!めちゃくちゃわかる。
中学生くらいまでは、当たり前に大学に進んで、当たり前に就職して、好きな人と恋人同士になって、その人と結婚して、子どもを産んで…と、漠然と考えていた。
でも、当たり前なんかあるわけない。人生にこんなに選択肢があるなんてあの頃の私は知らなかったけれど、今目の前にはあまりにもたくさんの選択肢があって、都度なにを選ぶかによって人生は少しずつ変化していく。そして、”自分が選ばなかったほう”の人生を経験することは、絶対にできない。
結婚するのか、しないのか。ひとりでいたって正直、楽しく生きていける気もするし。でも母になるという夢もある。でも、母になったとして、自分のために使える時間ってほとんどなくなってしまうんじゃないだろうか。それはいやかも。でも、…
ってな感じで、考えているだけで目が回るような気分になってくる。
だから時々、「あー、インスタグラムのアカウントを切り替えるみたいに、いろんな人生を切り替えて比較検討出来たらなあ」なんて思ったりする。だからこそ、私も1日10時間の結婚、正直超したい。
妻という責任を背負う代わりに、大切な人と共に生きる幸せ。
ひとりだからこそ、何からも縛られない自由な生き方をできる幸せ。
どうにかして、同時にどっちも手に入らないもんかなあ。なんて、わがまま。
第8話より。
姉ちゃんは彼氏に尽くさなそう、という順平に対して。
「そうだねえ。うん、尽くさない。
私が生まれてきたときにさ、若かったお父さんとお母さんがさ、彼氏に尽くす女になりますように!なーんて願ったと思うか?
私も、そんであんたも。誰に尽くさなくても、世界に求められて生まれてきたのであーる。」
誰に尽くさなくても、世界に求められて生まれてきた。
自分の存在意義のようなものを見つけようとする人が多いし、その気持ちはすごくわかる。ここにいていいのかな、ってなんだか少し焦るときがある。
でも、私たちがこの世に存在しているのに、たいそうな意味なんていらないんだよなあ。だって求められて生まれてきたんだから。そう思えたら、なんだか生きるのが少し楽になる気がする。
最終話より。
「心の内のモヤモヤを、捨てた!って確実に確認できると、安心できるんだよね。
捨てたことを確認できないから、人は苦悩するわけよ。
形なきものを手に取って捨てられたら、ノーベル賞間違いないね。」
物は捨てたら自分の手元に残らないのに、嫌な思い出、ネガティブな感情、考えたくないモヤモヤした気持ちってふとした瞬間に戻ってきたり、考えないようにしようとすればするほどその存在感を増したりする。
それを捨てた!って確認出来たら、ものすごーく楽なんだろうなあ。私もちはるみたいに、ごみ箱に向かってモヤモヤを投げ入れてみようかな。
これを書いていたら、さっそくまた観たくなってきたので早くも2周目に入ろうかと思います。益田ミリさんの原作小説『僕の姉ちゃん』シリーズも近いうちに読んでみようかと。
さて、姉ちゃんに会いに行ってきます。
趣味の守備範囲を広げる
趣味はいくつあっても良いと思う。
というより、あればあるほど良いと思う。
趣味が多ければ多いほど生きるのが楽しくなるからだ。
自分には趣味が多いほうだと思っていた。
推し活、読書、映画鑑賞、美術館巡り、ラジオを聴くこと、カラオケ。友人たちにはよく「多趣味だね」と言われてきたし、これだけでも十分だと思っていた、のだけれども。ここ数ヶ月で、ライブや対面イベント、それに関するグッズなどへの出費がかさんで若干金欠気味になり、「新しい本ばかり買っていられない…久々に図書館にでも行こうかな」「映画もたくさんは観に行けない…サブスクでたくさん観ることにしよう」「気になる展覧会はあるけど、全部は行けないかなあ…」という感じで、出費を伴う趣味に若干遠慮がちになってしまった。
GW、どこかへ出かけて買い物でもしたい気持ちはやまやまだけどそうも言っていられなくなり、ふと考えたのが、
『お金のかからない趣味がもっとあっても良いんじゃないか?』ということ。
ラジオは基本的にオンエアを聴くかradikoのタイムフリーで聴いているからお金はかからないが、聴き入るというよりも片手間に流し聞きすることが多い。ドラマも基本何かしながら観ることが多いし、読書や映画鑑賞はそれなりに集中力がいるし途中で飽きたりもする。
なにか頭を空っぽにして没頭できる趣味はないのか。しかもお金がかからないもので。と考えてみたけれど思いつかなかったので、友人たちに聞いてみた。その中で自分的にヒットしたのが
・ビーズアクセサリー作り
の二つだ。
考えてみれば、今までの趣味は何かを消費するものばかりで、自分で何かを生み出す、いわゆる”ハンドメイド”系の趣味ってなかった気がする。
しかも、基本的な材料はすべて100均で揃うとのこと。俄然興味がわいてきて、さっそく最寄り駅近くのダイソーに行ってみた。
クロスステッチとは、糸が×(クロス)になるように通していく刺繍の技法のことで、ひたすら×を作っていくだけだから初心者でも失敗しにくく楽しくできるらしい。友人が自分で刺繍したトートバッグの写真を見せてくれて、ハンドメイドとは思えない完成度の高さに驚いてしまった。
クロスステッチの主な材料は、
・クロスステッチ用針
・刺繍糸
・刺繍布
・刺繍枠
の四つ。ダイソーは刺繍糸の品ぞろえも良くて、色味の違う10色セットを3つ買っただけで1年は持ちそうな量の刺繍糸が手に入った。材料全部で660円(税込)。
ビーズアクセサリーは最近流行っていて、友人に手作りのリング(めちゃくちゃかわいい)をもらったこともあって気になっていた。
ビーズアクセサリー作りの材料は
・テグス
・ビーズ
のみ。3種類のビーズが入ったセットなどもあって、550円(税込)でビーズ8種とテグスが手に入った。無限にアクセサリーを作れそうな量のビーズ。お手軽すぎない…?とびっくり。
帰宅してさっそく取り組んでみたら、開始早々「何これ、楽しすぎる…」状態に。
ドラマやアニメを流しながら、ラジオを聴きながら、黙々と手を動かしていく時間。ビーズアクセサリーは小さなリングなどであれば一つを作るのにそんなに時間もかからないので、さくっと楽しめるし、何より作り終わったアクセサリーを実際に使えるんだから最高すぎる。自分好みの太さやデザインを模索しながら作っていくのがかなり楽しかった。
そしてそれ以上にハマったのがクロスステッチ。時間が光の速さで過ぎていく。チクチクと糸を通していくだけなのに、めちゃくちゃ楽しい。図案に沿ってマス目を数え、時々色を変えながら糸を通していくからなんだかパズルのような感じもするし、布の上で少しずつ形が見えてくるのがワクワクする。一つの作品を完成させるのにかなり時間がかかるので、毎日でもやりたくなってしまう。時間を忘れて没頭していたら30分ドラマを1クール見終えてしまった。恐るべし、クロスステッチにかける集中力。今取り組んでいる図案が完成したら次はハンカチやバッグに刺繍してみたい。
1000円ちょっとで楽しい時間に没頭出来て、なおかつ何かを作り出すことが出来るハンドメイド、控えめに言って最強。いままで知らずに生きてきたことを悔やむくらい素敵な趣味が増えたGWだった。
晴れた日は美術館へ出かけたり、カフェで読書したり。雨の日やなんだか体調がすぐれないな…っていう日はおうちにこもってハンドメイド。どんな日でも何かしら楽しめることがあるってすごい。
やっぱり趣味は多いほうが良い。
そして、趣味の守備範囲も広いほうが絶対に良い。
ご褒美ってすごい
色んな事のバランスをとりながら生活していくのってすごく難しいなあって、20歳を迎えてからすごく感じるようになったんですよね。
物理的な面でいえば、「活動的になるのって毎日が充実するし楽しいけど疲れがたまって結果体調を崩してしまう」とか、「そもそも活動的になるとそれなりにお金がかかるってことに気づいて帰り道にすこし切なくなった」、とか。「それならもっと稼ぎたい!って思うけど働きすぎるとまた休息の時間がなくなるし…」とか。
精神的な面でいえば、「いろんな人と仲良くなりたいけど、日々気を遣って過ごすのって身体によくない気がする」とか、「親しい友人たちと会うのはすごく楽しいし日々の糧になるけれど、同じ人とばかり頻繁に会っていると、それはそれで時間がもったいなく感じてしまう」とか。「人と会う日が一日あるなら、同じように一人で過ごす時間も丸一日必要なんだって気づいた」とか。
ここに書いたこと以外にもたくさん。物事に対する尺度は人それぞれだから、私と違って一人の時間が必要ない人もいるんだろうし、そもそも人と会うのが苦手っている人もいるだろうし。みんなが自分なりのバランスを模索して、天秤に少しずつおもりを乗せていくように、そのバランスが釣り合うところを探しているんだろうな、って思う。そうやって少しずつ自分の取扱説明書を書き足していったら、上手く扱えるようになっていくのかな。
大好きな曲のひとつにback numberの『あかるいよるに』っていうのがあって。
その歌詞の
『生まれた時からずっと一緒にいるわりに
ずいぶん息の合わない心と私』
ってとこ。
本当にそうだなって聴くたびに思う。自分が自分のことを一番理解しているのは確かで。でも、その理解も全く完全じゃない。30%くらいしか自分のことを理解できていない気がするし。
それはすごくさみしいことのような気もするけれど、人生に「自分のことを知る」っていう大きな宿題があるって考えたら、それはなんだか楽しいことでもあるような気がします。
前置きが長くなりましたが。
最近「私の取扱説明書」に「ご褒美があれば頑張れる」の一項が追加された。大発見。人間の体力って20歳の時がピークらしく、そこから先は落ちていく一方だとか。そんなことを聞いてしまったら、最後の悪あがきをしたくなるもので。もともとジョギングとか筋トレとか、きらいではないんだけど続いたためしがない。でも、今回ばかりはちょっと頑張ってみたいなって思って。
そこで、「10回ジョギングを続けたら、食べたかった期間限定のハーゲンダッツを買うぞ!」と決めてジョギングを始めたらあら不思議。なんやかんや続けられているのです。
ジョギングはつづくし、いつもなら何かと理由をこじつけて惰性で買ってしまうアイスも「10回達成するまでお預け!」という禁欲精神のもと、無駄遣いを防げるし。
結論、ご褒美ってすごい。そしてご褒美に見事に踊らされる私って単純。
なんだかちょっと情けない気もするけれど、人生においてかなり有益な情報を手に入れられた達成感はそれ以上に大きいです。
さて、次のご褒美は何にしようかな。